未分類 認知療法と心身二元論 認知療法では、心身二元論をどのように考えているのだろうか。あるいは物質一元論をどのように考えているのだろうか。認識の変更が脳回路の変更を引き起こすと考えているのだろうか。心が体に作用する。言い換えれば、認知変更が心の変更を引き起こし、そのこ... 2006.09.10 未分類
未分類 仏教と精神療法の例 仏教で「二の矢を受けず」という言葉がある。弟子がブッダに質問する。「仏教を学び体得しても、やはり人は死ぬし、病気にもなる。いったい何のためになるのか?」と。ブッダは答える。「二の矢を受けず」。死や病気の苦しみ(一次の苦しみ=一本目の矢)は治... 2006.09.10 未分類
未分類 神という概念・メイラーの考察 わたしは神という言葉を大変不用意に用いている。考えてみれば神というものは何であるのか、規定することが難しい。すべての概念規定を拒み、人間の知恵の届かない領域のもので、すべての限定は正しくないと考える人もいるだろう。ある人にとっては、それは人... 2006.09.10 未分類
未分類 未来は一つか無限か 未来はすでに存在していて、決定しているのか、あるいは、未来は未定であり、無限の可能性が存在しているのか。無限といっても、可能性の濃淡としてあらわされるような状態であるが。時間を追って見れば連続しているはずであるから、可能性の範囲には制限があ... 2006.09.09 未分類
未分類 視力の弱いわたしたち 視力の弱いわたしたち わたしたちには1メートル前しか見えない。神には100メートル前が見えている。あるいは、わたしたちには1秒先しか見えない。神には100年先が見えている。視力の弱いわたしたちは神から与えられたものを信じるしかないのだと思う... 2006.09.09 未分類
未分類 ゲシュタルトの祈り フレデリック=パールズ ゲシュタルトの祈り フレデリック=パールズ 私は私のことをする。 あなたはあなたのためのことをする。 私は、あなたの期待に沿うために この世に生きているのではない。 あなたも、私の期待に沿うために この世に生きているのではない。 あなたあな... 2006.09.08 未分類
未分類 ラインホールド・ニーバーの祈り ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の祈り(THE SERENITY PRAYER) 主よ、 変えられないものを受け入れる平静さを 変えられるものを変える勇気を そしてその両者を見分ける英知を 我に与え給え。 O G... 2006.09.08 未分類
未分類 サタンの策略 サタンの策略 自分を振り返って、『もうこの罪を犯さないようにしよう』と思うことはいいことだ。しかし、必要以上に自分を責める気持ちは悪魔(サタン)の策略だから気を付けよう。サタンとはまたレトリックとしても過剰であるが、過剰な反省は私たちを神様... 2006.09.08 未分類
未分類 愛することと愛されること 愛することと愛されること ヘッセの「メルヒェン」という短編集の中に赤ちゃんを産んだばかりの貧しい女性のところに魔法使い(?神様のみつかいでしょうか)のおじいさんがやってきて「願いを一つ叶えてあげよう」といいます。女性は「この子が人から愛され... 2006.09.08 未分類
未分類 暗闇を見続ける 暗闇を見続ける もうこの暗闇から逃れようとも思わない。引き受けるつもりだ。言葉を多く語らない方がいい。結局、言い訳と自己正当化にしかならない。「見える暗闇」という言葉を思い出した。そうだ。この暗闇を見つめ続け、暗闇が見えるようになるまで、あ... 2006.09.07 未分類