仏教と精神療法の例

仏教で「二の矢を受けず」という言葉がある。
弟子がブッダに質問する。「仏教を学び体得しても、やはり人は死ぬし、病気にもなる。いったい何のためになるのか?」と。
ブッダは答える。「二の矢を受けず」。
死や病気の苦しみ(一次の苦しみ=一本目の矢)は治せないが、「死ぬことへの恐怖」や「どうして私だけがこんな病気に」など、死についての苦しみ、病気についての苦しみ(二次の苦しみ=二本目の矢)については仏教でなんとかなる。

キリスト教関係でも、「なぜわたしだけが苦しむのか」という訳書があった(岩波の文庫版)。

仏教では毒矢のたとえもある。
毒矢を打たれた人に向かって、毒の性質や矢を打った人間が誰であるかなどを詮索しても仕方がない。とりあえず矢を抜いて毒を抜かなければならない。
人生の問題も同じようなものだ。なぜと考えるよりまず、毒矢を抜きなさい。

どちらも精神療法に使えるお話。