軽症うつ病治療

2006年,第47回日本心身医学会総会(東京)
特別講演
メンタル・クリニックでの経験から心の医療を考える
一軽症うつ病治療を中心に一
笠原嘉

抄録:医学会広し,といえども心を扱うのは精神医学と心身医学だけである.そして最近では,精神患者の軽症化が進んだこともあって,診療室を訪れる患者層は精神科外来クリニックと心療科とでかなりの程度に重なるようになった.これに日本の健康保険制度を使わない臨床心理学出身のカウンセラーの扱うクライエントを加えると,入院設備をもつ精神科病院を必要とする人々と異なった患者ないしクライエント層がすでにできている,という印象をもつ.したがって精神科クリニックでの最近の経験をこの学会でお話しすることはまんざら無意味でもないだろう,と考えた.なかでも最近の軽症うつ病の治療について自分なりに考えたいくつかの手法ないし小精神療法を紹介して,ご批判を願ったつもりである.ちなみに,軽症うつ病は1970年前後,私が精神科医として心身医学会に関与する契機になったテーマである.

Keywords:time-limited psychotherapy,軽症うつ病(mild degree of depressive disorders),ソフト・バイポラリティ〔soft bipolarity(Akiskal)〕,仮面うつ病(masked depression)

心療科と精神科

このたび光栄にも,久保木富房会長から第47
回日本心身医学会総会で何か話すようお誘いを
受けた.思えば,私にも心身医学会理事会の末
席をけがした時期があり,それがたまたま日本
心身医学会誕生の時期と重なり,ご関係の諸兄
姉と喜びをともにしたことを思い出す.医学会
広しといえども,心を扱う専門家は心療科医と
精神科医しかいない.今後も変わらぬ交流をお
願いしたい.
私は精神科の教職を退いた後,約8年,街角
の小さな精神科無床クリニックで診療をしてき
た.奥深い大病院の外来ではなく,すぐ前にバ
ス通りが走るようなところで診療する.それが
「精神科医院」という小文(1976)を書いて以
来の私の念願であったが,日本全国に健康保険
制度下にようやく多くのメンタルクリニックが
生まれるようになった.「日本の健康保険制度
下に」とわざわざ強調するのは,効率よく平等
に行える心の医療を開発する責任が日本人にあ
ると思うからである.

メンタルクリニック外来にくる心療科的な人たち

今まで知られているanorexiaなどを除くと,
受診者の中で心療科に近いのは「仮面」うつ病
であろうか.つまり一切の精神症状を欠き自律
神経性の身体愁訴のみを訴えるものの,うつ病
と仮定して治療していると次第によくなる.
例えば,社会適応のとてもよかった中年男性
が,いくつかの病院で精査を受けたのも,慢性
疲労症候群(CFS)という病名を知って,それ
ではないかといって受診する.この病名が米国
からもたらされて相当の時間がたつが,私には
まだはっきり診断できない.
初老期女性で,回転性のまったくない,立ち
くらみ型のめまい(?)を主訴としてくる人も
依然として少なくない.それから,今まであま
り気にしていなかったが,やはり高齢婦人に口
中の奇妙な心気的違和感をいう人が続けて何人
かあった.性格的にはよく働く,真面目な,軽
度の強迫性格の人であった.心気症というより
身体図式の現局的な障害ではないかと思うほど
頑固であった.
今日,リストカットや大量服薬をする若い女
性は心療科でもめずらしい存在でなくなった.
救急のドクターたちに申し訳ないと思うが,彼
女たちの反復する自己破壊行為は急性期にはな
かなか止められない.
しかし,クリニックを始めて知ったことだが,
彼女たちの中には診療を続けて二三年もすると
人騒がせな行動化がまれになり,全体として落
ち着いてよくなる人が意外にたくさんいる.年
齢を重ねて人間的に成長するのだろうか.とも
あれ境界例という診断にはじめから恐れをなし
たり,リストカットがあったからといってはじ
めから逃腰になることはない.
心理療法やカウンセリングだけでも二三年か
ければ好転の可能性があるが,医師は境界例の
薬物療法にも習熟しておいたほうがよいのでは
ないか.薬が自己破壊的な行動化に先立ってあ
る離人性の「不安」を小さくし,行動化の程度
を軽くするように思える.少量の非定型抗精神
病薬などが意外に使いやすい.
もう一つ,これまでもっぱら精神科の病気と
考えられてきた統合失調症が今日軽症化し(今
後もっと軽症化は進むであろう),外来の患者
になることがまれでなくなった.政策的に精神
科病院が長期入院を許さなくなったことも関係
している.たぶん,心療科の外来にも今後その
一定数が受診することだろう.
彼らは病識をもち,自分から治療を求める.
私はかねてから「外来分裂病」と呼ぶことを提
唱してきた(1981).病人自身も家族も,入院
よりは外来を,外来も精神科よりは心療科をよ
しとするのは,今も昔も同じである.彼らにも
関心を少し向けていただくよう,お願いしたい.
なぜなら,統合失調症の人は生来内向者で,
今日の言葉でいえば「ひきこもり」系人間に属
し,すこし変人かもしれないが,世俗にまみれ
ない純粋さを長く保つ人たちで,適切な対人距
離(proper distance)さえ保ってつきあえば,こ
れほど医師を信頼し感謝する人はないからであ
る.抗精神病薬もこのごろはよくなっている.
病識のある軽症の外来統合失調症は,近い将来
心療科のレパートリーに加えていただけないも
のか.困ったら専門医を紹介していただければ
よい.

軽症うつ病再病

そのほかでは,心療科と共有の患者さんはや
はり軽症うつ病であろうか.私が軽症うつ病の
中心に典型として据えるのは,あくまで「成人
のうつ病」である.このことはあらためて確認
しておきたい.
というのも,チェックリストで症状を数える
ようになってから,あるいは「うつ」という言
葉がインターネットで流行りだしてから,うつ
病というと誰にでもストレスによって起こる同
じ病気のような理解が広まっている.例えば,
青年期のうつ状態も,老人の認知症と同時並行
的に起こるうつ状態も,同じうつ病と考える傾
向が強い.
この新しい見方は脳科学の知見に支えられて
いて,今日否みがたい力をもつ.しかし,多く
の精神科医は元来うつ病を抗うつ薬の作用機序
のみで説明し切れるほど単純なものと考えてい
ない.脳次元のみならず,年齢,病前性格,病
前社会適応,発病契機を含めて,いくつかの群
があると思っている.笠原・木村分類(1975)
はその一つの試みであった.
その中でも特にわれわれが第一型として重視
したのは,すでに社会に参加し,社会適応をあ
る程度果たしていた中年者がときとして陥る心
理社会的疲労現象であっ
た.このうつ病論は日
本では下田光造が1924年に指摘して以来の歴史
がある.

軽症うつ病は「意外に」慢性病である

かって私が「うつ病(病相期)治療の七原則」
を発表したとき(1981),その一つに「治療期
間は少なくとも3ヵ月」と書いた.しかし,今
では(とてもよくSSRIに反応する人でも)6ヵ
月は診たほうがよいだろう.
もっといえば,一見心因によって誘発された
単極うつ病であっても「2年から3年」は治療
に要する.医師はそう思っていたほうがよい.
それより早くよくなれば幸運と考える.少なく
とも「うつは風邪のようなものだ」という標語
は,早期治療を促し自殺観念を実行に移させな
いというメンタルヘルス的な意味はあっても,
医療的には真実でない.
心療科や精神科クリニックは(早く治すこと
よりも)「長く診る」ことに一次的使命がある
のでないだろうか.そして長く診れば診るほど,
その人の生活史,家族構成などを知ることにな
る.池見がよくいったbio-psycho-socio-ethical
な視点に近づく.慢性化も,考えようによって
は,悪くない.

心理的エネルギー水準(Janet)を読み取る直感診断

学説は変わっても,臨床,特に外来診察のノ
ウハウはあまり変わらない.例えば新薬ができ
ても,使用にあたっていちいち,その脳内作用
仮説を患者の症状と結びつけながら診察を進め
ているわけではない.処方を変える際に少し仮
説が頭をよぎるくらいで,基本は,依然として
診察室の医師一患者関係といわれる人間関係を
もとにして,ラポールがつくかどうか,思考の
流れはどうか,不適切な感情表現があるか,彼
の言うところが心理的に了解できるかどうか,
われわれに既知の精神神経症状にあたるかどう
か,社会的にどういう環境に住んでいるかなど
要するに「常識」をもとに判断していく.
この「常識」のベースとして,ただいま流行
の認知行動心理学に加えて,昔からある感情・
人格心理学的な見方を少し加味するのがよいと
私は思っている.1950年代は,精神科医は感情
診断とか直感診断といってこの部分を特に重視
した.統合失調症に対しては,入室時顔貌や身
体の表情はどうか,対人態度はどうか,挨拶は
できるかなどを診たものである.それほどでは
ないが,噪うつ病についても感情診断は大事だ
と思う.
そして毎回の心理状態を連続的にとらえ,直
近のありうる状態を予測するため,私はフラン
ス由来の心的水準論を重用している.チェック
リストでは平面的羅列的に並ぶだけの精神症状
に,上下高低の順序をつけて立体的に並べると
考えていただければよい.英国の神経学者Jack-
son Hの創始で,フランスのEy Hが精神医学に
導入したのでNeo-jacksonismと呼ぶ人もいる.
見方を変えれば単一精神病観に近い.具体的に
上から下へ並べると図のようになる(Fig.1).
例えば今ある幻覚妄想状態は,心理エネルギー
水準が上がっていけば,離人症状や躁うつ病的
気分変調を経て好転するとき,うつ気分が強く
なり,ときに自殺の危険が高まることは臨床家
のよく知るところである.他方,悪化すれば,
次に起こる症状は夢幻状態や錯乱状態である可
能性があり,ときには人格欠陥状態に至る危険
もある.
この見方をうつ病の心理主観症状についてあ
てはめると,Fig.2のようになろう.
これは簡略化していえば上から下へFig.3の
ようにいうこともできる.
この水準表は治療にも活用できる.下から上
へみると利用しやすい.例えば,中年のうつ病
患者にいつ社会復帰活動を始めるよう求めるか.
それは「不安焦燥の時期」と「ゆううつ気分主
導の時期」が済んで「抑制主導の時期」に入っ
た直後くらいからである.

神経症状態
↓↑
噪うつ的気分変調
↓↑
離人状態
↓↑
急性幻覚妄想状態
↓↑
緊張病様症状群
↓↑
夢幻様状態
↓↑
錯乱状態
↓↑
人格欠陥状態
Fig.1

生きがいがない
↓↑
何をしても面白いと思えない
↓↑
興味が持続しない
↓↑
何事にも手がつかない
↓↑
おっくうで仕方がない
↓↑
ゆううつで消えてなくなりたい
↓↑
寂しくてー人でおれない
↓↑
焦燥不安があって我慢できない
Fig.2

喜びの感覚が出現する

抑制(おっくう)主導の時期

憂うつ気分主導の時期

不安焦燥主導の時期
Fig.3

急性期がすんだあとに長い「抑制主導」期が居座ることを治療者は覚悟しなければならない

私は「軽症うつ病」(1996)を書いたころか
ら,抗うつ薬治療で少なからざるケースが「焦
燥不安」と「抑うつ気分」がほぼ回復したにも
かかわらず「抑制症状」だけがいつまでも消え
ないことを嘆いていた.そして,できることな
ら抗「うつ」薬よりむしろ抗「抑制」薬を開発
してほしいと訴えてきた.
少し細かくいえば「抑制」には外的抑制と内
的抑制がある.外的抑制とは「身体の動きが鈍
い」「表情が乏しい」というたぐいのもので,
これは第三者にもよくわかる.問題は後者の内
的抑制で,ひと言でいえばこれは心の「おっく
うさ」である.「何もしたくない」「何かしよう
としても手が出ない」「何をしても面白くない」.
こういう心理症状は外部からみえないから,え
てして怠け者よばわりされる.あるいは,何ら
かの心理的環境的原因を擬せられる.配偶者の
せいにされたり,このごろ流行の「幼少時期の
いじめ」のせいにされることもある.しかし,
医師のほうが少し落ち着いて診ているとやがて
消えていくから,やはり症状とみなすべきだろ
う.
結構長期にわたるこの抑制主導期への対処法
としては.
1)薬物としては成書にあるように,炭酸リ
チウム,バルプロ酸,カルパマゼピンを,さら
には甲状腺剤,非定型抗精神病薬を使う.
2)急性期がすんで抑制主導期に入ったと確
認できれば,心理的「休息」の度合いを緩めて
「社会参加」の練習を始める.例えば,書物好
きの人なら隔日くらいに近くの図書館へ行って
1時間くらいを過ごす.運動好きならジムを利
用する.まだまだ心理的休息を必要とする時期
だから,1時間くらいにしておく.できれば午
前中に,自転車か電車を利用して通勤練習とす
る.あせらずにゆっくりやる.
3)難治性軽症うつ病のなかに「かくれ双極
性」がありうる.軽症躁うつ病,あるいは米国
のAkiskalのいうソフト・バイポラリテイ(soft
bipolarity),笠原・木村の分類では「Ⅱの1」に
あたる.
病前のむしろ活発すぎるほどの生活態度,社
交性,うつ病期に入ってもなお残される精力性,
気分の波,怒りっぽさなどがさしあたりの指標
になろう.
慢性うつ病の治療経験から今一度原因概
念として「内因性」を復活しては,と思う< br>DSM-Ⅲ以前のように「脳器質性の領域」と
「心因性の領域」の中間に,あいまいながら「内
因性という領域」をおいてはどうか.遺伝と環
境の双方が作り上げる,臨床精神医学にとって
無視しえない原因領域である.19世紀以来欧州
で概念化され,日本でもブラシュアップされた.
躁うつ病や統合失調症がその代表である.境界
例やいわゆるひきこもり症例にもそう考えるほ
うがよいケースがある.この概念はDSM-Ⅲか
ら,またICD-10からも消えてしまった.
そのせいもあってか,内因性という用語は心
療科のドクターには受け入れにくいもののよう
である.いや精神科医でも,1980年以後の米国
精神医学の洗礼を受け,うつ病はストレス病と
か生活習慣病と覚えた人にも受け入れられにく
い.「内因性」が好ましくなければ,本態性高
血圧症という表現にならって「本態性」といっ
てはどうであろうか.
病人には,うつ病の原因として「個人を越え
たサムシングがある」(内因性)と説明する.
それは結果的には決してマイナスではない.毎
日の様子を記録させると(私は午前・午後・夜
と三分して「○×△」で大まかな気分をつけて
もらうことにしている)すぐわかることだが,
うつ病の経過は決して平坦ではない.波がある.
その波の起こり方はストレスとか大事故に連鎖
するわけでは決してない.大抵理由なく起こる.
医師や心理士が無理やり原因を探さない限り,
大抵理由がない.

うつ病の心理はしばしば了解不能である

「うつ」という状態は静態的には了解できる.う
つは誰にでもありうるからである,しかし,動
態的に了解し過ぎないように注意を要する.こ
のことは前項で述べた内因性領域を重視するこ
とと表裏の関係にある.うつ病の体験は誰にで
も追体験可能と考えるのは誤解であろう.いつ
も治療中はあまり了解しすぎないように(過剰
な了解をしないように)注意する.これはかつ
てハイデルベルグのJaspers K,Schneider Kの強
調したところである.この注意は今でも有用と
思う.
幼少時の心理的外傷を重視しすぎたり,発病
に前駆する心理的ショックを求め過ぎたりしな
いのはいうまでもないが,急性期の「焦燥感」
さえその過剰な心理的解釈には慎重であるべき
だろう.
中年婦人が言う.「じっとしていられない.
寂しくてたまらず,迷惑と知りつつ夫を電話で
呼んでしまう」「手でつかまえられる距離に誰
かいてほしい」.
初老期の人の焦燥は特に苦しい.自殺実行の
危険もある.軽症でも焦燥不安は起こりうるの
で,外来医はできるだけ早く収める要がある.
うつ病治療の今日の進歩は,薬物によって急
性期を短くすることができるようになったこと
だと思う.心理療法だけではだめで,SSRIの効
かないときは,私は好んで昔からの三環型の
amitriptylineとchlorpromazine(phenothiazine
系)の少量を使う.特に後者は50年も生きて
いる古いクスリだが,今でも役に立つ.若い医
師の中には新しい非定型抗精神病薬の少量をう
まく使う人がいる.
若者のうつ状態でも相似た不安がリストカッ
トや大量服薬などの自己否定的行動化に先行す
る.ただし,この場合は「見捨てられる感」や
「離人感」が加わっていて,中年のうつ病の焦
燥感とは質を異にする.しかし,この場合も非
定型抗精神病薬の少量を抗うつ薬に加えるのが
よいように思うが,どうであろうか.
いずれにしても,内因性のうつ病の心理をあ
まり過剰に了解しすぎないことが大事と思う.

「喜びの感覚」の回復が治癒の目印として大事

再発を予防するために,医師は少し厳密な
「治癒」の判定基準をもつことが必要かと思う.例
えば,長く残りがちな軽度の「抑制・おっくう」
が消失することを確認することはもちろん重要
であるが,それに加えて「喜びの感覚」が出現
することも大事である.
このことはDSM-IVも気づいていて,うつ病
の二大症状の一つに「喜びの喪失」を挙げてい
る.意外に忘れられているように思うので,取
り上げておきたい.
例えば,テレビがみられるようになる.それ
も,人のみているテレビを受動的に横からみる
段階から,自分から番組を選んで長時間「楽し
める」ことができるようになる.
家事をするにも「ねばならない」という義務
感が消えて,そこに好きなことをする喜びが出
てくるのが目印になる.
さらにいえば,「おっくうさ」がなくなるだ
けでなく,もとどおり人の中に入っていくこと
を楽しみとできるようになることも目印であろ
う.「働ける」とはそういうことであるらしい.
診察室でうつ病の経過を追う限り,自殺はそ
れほど多いものでないが,それでも病的うつ気
分と自殺企図は近距離にある.治癒を厳密に判
断することによって,再発,再々発をふせぐこ
とが大事か,と思う.

発達途上の青年例や70歳を越えた老人のうつには違った診断学と治療学が要る

神経症性うつ病とかヒステリー型うつ病とか,
あるいは認知症と近縁で鑑別を要するうつ状態
については,昔から少なくない文献があるが
(私も「二十歳台のうつ状態」(1989)と題して
一文を書いたことがある),しかし,今日のそ
れらには昔と違って今日の時代文化の影響があ
ると考えるべきであろう.
例えば,若者の間ではインターネットという
新しいコミュニケーション手段が確実に開かれ,
無名の人との顔のない交際が可能になっている.
こういうことは昔はなかった.日本的資本主義
の競争もうつ病や退却症の背景にある.そして,
その克服のためのめぼしい医学的方法はまだみ
つかっていない.
こういうときわれわれにできることは,いつ
の時代にも変わらないであろう青年期心理,老
年期心理をしっかり押さえて,個々の医師一患
者関係を安定的にすることであろう.長期の治
療には健康保険制度が有利に働くであろう.

偏見のこと

世間の精神疾患に対する偏見もひところに比
して大きく軽減した.しかしまだまだ努力を要
する.うつ病は軽快可能性をもっているから一
例一例をていねいに治すことが,即,世間の偏
見除去に役立つと考えてはどうであろう.
ただ,再発時に患者本人が意外に再来を躊躇
することも知っていたほうがよい.今度は病気
ではない,と否認したくなる.診察室の進歩を
どう社会につないでいくか.うつ病の本質は内
因性と考える私でも,社会因性の一側面をいや
おうなくもつことを認めざるをえない.
参考文献
1)笠原嘉:精神科「医院」.笠原嘉:精神科
医のノート.みすず書房,pp174-188,1976
2)笠原嘉・金子寿子:外来分裂病(仮称)につ
いて.笠原嘉:精神病と神経症第1巻.みす
ず書房,pp295-311,1984
3)笠原嘉:軽症うつ病.講談社,1996
4
)笠原嘉:うつ病看護のために一社会参加の訓
練を「いつ」「どう」始めるかー.精神科看護
33:22-26,2006
5)笠原嘉:二十歳台のうつ状態.躁うつ病の精
神病理第5巻.弘文堂,pp225-248,1987
6)笠原嘉:診察室での軽症うつ病の臨床研究.
広瀬徹也,内海健(編):うつ病論の現在一
精緻な臨床をめざして.星和書店,pp199-212,
2005