脳が脳を診察する

脳が肝臓を診察する場合と
脳が脳を診察する場合とでは
やはり決定的な違いがある
そこが精神科医療のもっとも肝心な点になるはずである

脳医学というなら
肝臓医学と並列である

診察する脳の視点からいえば、
診察される脳は肝臓よりもひとつ次元が高い存在である

自意識のなぞは
物質科学のレベルでは解決困難なのではないかと
時に言われるくらいの難問で
診察する脳はその自意識を持って
診察される自意識を持った脳を
診察するのであるから
肝臓を診察する場合とは様相が異なる

肝臓は結局物質系の中で説明されるもので
現在でも充分に説明されているものだと思う
少なくとも原理的な困難はない

脳の自意識については同じ方法論が
有効なのか無効なのかいまだに分からない

診察される脳の
肝臓と同等な面だけに着目して診察する流儀もある
最近はだんだんそのようになりつつある
画像診断などをして肝臓の画像診断と同じことをしている
それだけでもなかなか大変な話で
この方向でまだまだ進歩が必要であることも確かである

昔、数学を統一的構築物として一貫して記述する試みがあり
その際、集合論を基礎におこうということになった
しかしかなり研究が進んでから
集合論には基本的な矛盾があることが明らかとなり
そこからまた苦労が始まった

現状では診察する脳は
基本的な矛盾を抱えつつ
診察される脳を診察している

診察する脳は
自意識の発生を説明不能なものとして抱えつつ
自意識を働かせて診察している
そのこと自体非常に居心地のよくないことではある

そしてさらに診察されるのが脳であれば
困難は倍加する
脳を一次元だけ次元ダウンさせて物質として肝臓と同じレベルで扱うことで
ひとまず困難の半分を解消できているという事情になる

主観的体験を聞き、診察の対象とするとき、
正確にそこには何が起こっているのか、
記述の難しい部分があると思う。

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すべての医学は
脳が理解しているのであり、
脳が記述している。

その意味で精神医学は既に肝臓に比較して特権的な立場にある。

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診察する脳に内在する謎と
診察される脳に内在する謎とが
干渉しあうとき、
脳が理解している唯物論的「医学」の
言葉にはない事態が発生しているのである。