痛みと妄想

相談者の語る話を聞いて妄想なのかそうでないのか判断することが難しい局面がある。

たとえば、キムタクがわたしを好きで、毎晩会いに来る、というのなら、だいたいは妄想だろうと思う。
逆に、わたしはキムタクが大好きで、いろいろ集めていると言えば、たぶん普通の範囲だろうけれど、妄想かもしれないと疑いは残る。
キムタクがあなたを好きかどうかはキムタクに聞いてみれば分かることで、妄想かどうかの検証はしやすいし、常識が教えるものがある。
あなたがキムタクを好きかどうかは、特に妄想というほどのことでもないが、妄想か否かを判定する手だてに乏しい。

特に判断に困るのが内蔵系・筋肉系の痛みである。腹が痛いとか、腰が痛いとか、立って歩けないほどだとか、訴える。
夏樹静子さん著「椅子が怖い」「心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す」とか柳沢桂子さんの本に書かれている。
整形外科や内科で身体的検査を繰り返す。血液検査や患部と疑わしい部分の写真を参考にして、訴えを説明できるだけの所見が得られない場合、心因的なものではないかと疑う。診断名としては身体表現性障害、心因性疼痛などが用意されている。

たとえば腰痛に限定してみる。腰のあたりのMRIでは特に所見がないとき。牽引やMS温湿布をするのだけれど、心配の仕方としても過剰なような印象がするとき。そんな場合に心療内科がリエゾン・コンサルテーションに呼ばれる。
腰痛の原因としては、まず写真に写る腰のあたりの問題がある。細かく言うと神経根の圧迫の問題、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、腰椎分離症、腰椎すべり症がまずあげられる。脊椎変性症などという言葉も使う。腫瘍や血管性の病変の可能性もある。「排尿、尿意コントロールが困難、肛門・生殖器のあたりのしびれ、両足のしびれ・異和感・脱力、足のふらつき」などがある場合には器質性の可能性が高いと言える。

次には、写真には写らないような筋膜炎(MyalgiaまたはMyofacial Pain Syndrome 筋膜性疼痛症候群)や関連痛(痛みの原因は局所にはなく、離れた場所が原因だという場合、これは解剖学的に説明可能)などの可能性を考える。

最後に心因性疼痛を考える。

しかしいろいろと困難はある。
まず、写真の所見と症状とを因果関係ありと認定するのが難しい。腰が痛くない人でも、写真を撮れば腰椎の異常は見つかることも多い。老化が主な要因だからだ。誰にでもある程度の変化を病気の原因として特定している可能性がある。

次に、腰痛を訴える人に対して、写真を提示して、「ここの圧迫のせいで痛いんです。治りは悪いですが、牽引をしてだめなら手術も考えましょう」などと言われると、病状は固定してしまう。これも問題である。活動を制限し仕事を長く休むほど病状は固定し悪化するとの報告もある。しかし一方、局所の状態が悪いから、動けないし仕事も無理だとの論理も成り立つ。

次には骨は写真によく写るが、筋膜炎などになると写りにくいことで診断がつきにくいことが問題である。伝統医学の鍼灸などは筋炎の場合にトリガーポイントを刺激することで痛みを解決しているらしい。

本人が痛みを訴える場所と炎症の場所が離れている場合も、見落としがちである。

ここまでの手続きを経過して、やっと心因性疼痛の検討である。
検査所見で全く問題がなく、筋炎、関連痛の可能性もないとなったとき、心因性疼痛を疑う。この場合は症状は解剖学に一致しないことが多い。固定している人もあるが、浮動性の場合もある。多くは他にも悩みを抱えている。ある種の性格特徴がある。背景に糖尿病などが隠れていることがあるので、きちんと除外する。

ここまで来て、最初の問題が浮上する。その痛みは妄想かもしれない。痛みの実体はなく、ただ固い信念だけがあるのかもしれない。しかしそれを妄想と確定する手段がない。

心因性といっても、完全に妄想の領域のものもあれば、持続的な交感神経興奮→血流不全→内因性発痛物質の蓄積→痛み・コリといった経路も考えられる。これは心因性疼痛と筋膜炎の混合のような状態である。

このような事情で、腰痛、腹痛、めまい、頭痛など、診断・治療とも困難な例も少なくない。