異常と正常 精神病とそれ以外

これは相談者にとってはかなり重大なことのようです。もちろん、治療者にとっても重大です。

たとえば虫歯。「この痛みは虫歯のせいですか」と歯医者さんに聞けば、診察をして、「虫歯です」とか「歯頚部過敏です」とか診断してくれる。しかし微細に見ると、虫歯と正常の境界は難しく、顕微鏡的に歯の表面に傷が付いて細菌が繁殖しつつある状態が中間状態になると思う。しかし肉眼で見て、さらにレントゲン写真を撮影して、痛みの原因が虫歯かどうかは問題なく分かるだろう。
たとえば胃痛。胃カメラで検査すれば、胃の表面については検査できる。いくつか検査を追加すれば、痛みが胃炎なのか機能性のものなのかは判定できる。この場合も、顕微鏡で微細に見れば、胃粘膜の小さな異常はあるだろうし、それが将来胃炎に発展することもあるだろう。しかし現時点での痛みの原因が胃粘膜の異常か、機能的なものかについてはあまり問題なく判定できるだろう。

さて、精神的な変調についてはどうだろうか。
虫歯や胃痛に比較して、正常から異常までの変化はなだらかで、肉眼で見える程度だと思ってもらっていいと思う。だから、くっきりとした境界は決めにくい。
東京から見れば、富士山は富士山で、隣の山と混同することはない。
しかし自動車でどんどん富士山に近づくと、平地はいつの間にか富士山になっている。標高を測定することはできるが、どこからが明確に富士山とは言い難い。人間の言葉の定義として、どこからが富士山と定義することはできるけれど、自然現象としては、なだらかに標高が高くなり、頂上に続く。
相談者が「わたしは異常なんですかどうですか」という場合、富士山なんですか、丹沢なんですか、高尾山なんですかとイメージしているのだろうか。それなら連続体ではないから明確な答えを期待しているわけだ。しかし正常から異常へのなだらかな変化は、どこまで平地、どこからが山とは決めがたいのではないか。その途中の領域が虫歯や胃痛に比較して広いということは言えると思う。

精神病理学としては、伝統的に、「了解可能性」をひとつの指標としてきた。原因・状況と症状の関連が自然で了解できるものならば、正常または神経症、不自然で了解できないものについては精神病だろうと考えた。
現実の診察室ではかなり有用で妥当なのであるが、学問的な批判に耐えられない面もある。
米国DSM分類では神経症のカテゴリーがそもそもない。

そこで「現実検討能力」を目印に考えている。客観的現実と私的空想をきちんと区別できているかどうか。自分と他人の区別がきちんとできているかどうか。そのあたりを目印にして精神病とそれ以外と区別するようになっている。
「病態レベル」という言葉で、「精神病レベル」「神経症レベル」と使い分ける人もいる。
批判もできるだろうが、これはこれで診察室では充分に機能するよい指標である。問題は中間地帯が比較的広いことである。しかも固定的なものではなく、変動するから、なおさら難しい。一時的なものならばことさらに異常と決めつけることも意味がない。

わたしは異常なんですかという問いの場合、精神の変調に関しての過剰なおそれがあると思う。疲れ、ストレス、血管異常、肝臓機能異常、腎臓機能異常、電解質異常などで容易に精神の変調は起こる。なだらかに変動し、元に戻ることも多い。また、急激に変動したものは急激に元に戻ることが多い。