科学は測定と予言

自己愛とかネット社会とかうつとかのキーワードで
いろいろ調べているが
精神のことに生物学的にアプローチしている人は
そのうちアルツハイマーや躁うつ病でノーベル医学賞が期待できるが
心理学的にアプローチしている人たちはそんな期待はまったくできない

長い将来のどこかで脳科学と心理学が合流するのだろうが
まだまだかかりそうだ

科学的にアプローチするにはまずきちんと測定することだ
自己愛とはどんなものなのか、何をどのように測定すれば、
再現性を持って確定できるのか、
そのあたりからの話で、そもそも、となるので果てしない。
すでに老人なので生きているうちには無理だろう。

測定できたら
次にはどのような場合には何が起こるかと予言してみせることだ。
素粒子物理学もそんな流れで、まず理論が予測して、それが実際に観測される。

理論が自分を科学的命題であると言うには
この条件でこのような結果が測定されたらこの理論は誤りであるとはっきり言明することが
必要だと昔の哲学者が言った

光の科学で言えば赤とか青とか言っているうちは話がかみ合わない
波長がいくらとかエネルギーがいくらとか
測定できる物差しがあって
いろいろと条件を変えて測定して
いろいろな法則が見つかり
理論が提出されるという順番になる

それは確かにそうで
そうでなければ
自己愛も境界不明の議論になり、
うつも正常も見分けのつかない不明のものであり、
消費社会やネット社会がどのように精神や病気に影響しているかと
論文を出しても信念なのか理論なのかよく分からなくなってしまう

しかし心理測定はまだまだ難しく
脳が脳を診断しているのでなおさらややこしく
しかし脳が肝臓を診断するレベルで脳科学のアプローチをしてもまだしばらく
時間がかかりそうで
困ったことだ

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老年期の精神医学はあれこれ進歩があるのだけれど
おおむね、老年期になるといろいろな機能が損なわれ、
これから先あまり発展する希望もなく、
人のやっかいになり、
ひとことで言うと自己愛を維持できなくなり、
否が応でも誇大性も引っ込めざるを得ないという
厳しい状況であり、
それはもう苦しい。
死が現実のものとして迫ったとしたら
なかなか難しいのだ。

亡き人の残したテープなどを聴いて
偲ぶ秋である。