Kraftwerk – We are the robots

古いものを紹介。
Kraftwerk – We are the robots

人間はどこまでが自動機械–robots–であるかが問題である。自動機械でないとすれば、自由意志–free will–はどのようにして発生しているのかが謎である。
そんなことを考えながら聴く。
猫に自由意志はあるか。犬はどうか。人間の場合、胎児の初期段階から乳児、幼児、児童、生徒、成人、老人などがあり、どの段階でどの程度の自由意志を想定するか。受精の瞬間にはおそらく自由意志は存在していない。ではどこから自由意志が存在すると想定するかについては、刑法の定めが参考になる。堕胎については、母胎の保護の観点もあるが、胎児の人権の観点もあり、殺人罪を適用する場合、どの時点から殺人として成立するのか、社会に共有されている通念はどのようなものか、参考になる。また、少年法とのかかわりでいえば、どの時点から、教育なのか、矯正なのか。あるいは、老年期になり成人後見制度を考えた場合、自由意志をどのように考えているか。
以上の観点から、自由意志の問題は現実に社会を基礎づけている何かであり、しかしその実体は誰にも不明であることを知る。法律操作の観点からは、社会防衛政策として必要なのか、あるいは現実の追認をしているのか、あるいは無自覚のうちに、概念規定できない何かを前提しているのか、難しい問題があると思う。

We are the robots with free will.

To be free or not to be free,that is the question.