少子化

“少子化の問題については、以前から「べつに、少子化すれば良いのでは?」「人口は減った方が良い」と書いています。僕の個人的な意見です。また、「高齢化」については、今だけの問題で、ここ数十年をなんとか凌げば、(みんな死にますから)正常な分布に戻ります。凌げるだけの蓄積(社会の貯金)を、好景気のときに作っておけば、なにも心配することはなかったのですが、さてできているかな、という程度の心配です。
 子供が生まれることを「生産性」と言った人がいるそうですが、昔はたしかにそうだったかもしれません。子供は働き手だったからです。貧しさから逃れるために、子供を作ったともいえます。子供たちが、いずれは親の面倒を見てくれるのだから、多い方が良いだろう、という理屈でした。でも今は逆に、子供にお金がかかる(かける)ようになりました。子供がいると家計を圧迫しますし、どちらかというと「非生産的」です。そういう言葉を使っていうなら、ですよ。
 それはそれとして、現代人の多くは、都市に集まって、個人で生きるようになりました。都会は「一人」に最適な環境です。コンビニがどこにでもあって、一人分の食べものがすぐ得られます。ワンルームに住み、持ち物を減らせば、生きやすいようにデザインされているのが、都会という装置です。このスタイルは、すべてをアナログからデジタルにシフトさせ、最後には人間自身を、デジタル化することで、さらに究極のものとなるはずです。
 たとえば、SNSがそうです。リアル社会で暮らすよりも、バーチャル社会の方が、安心安全で生きやすい。そう感じる人が増えていると思います。同時に、家族ではなく、個人へ移行したように、個人の中でも、より「個」なるものへシフトしています。クルマもいらない、家もいらない、そのうち服もいらなくなるでしょう。人間がデジタル化すれば、そういったリアルの無駄が省けるからです。リアルの世界へ出かけるから、服がいる。そのために材料とエネルギィが消費される。こんな無駄はありません。ストローよりもずっと環境破壊です。
 たとえば、田舎に住んで自給自足している場合は、同じ天候の日はないし、同じ料理は二度と食べられません。でも、都会に住んでいれば、毎日だいたい同じ日で、同じものが食べられる。これが、アナログからデジタルへのシフトです。同様に人間の生き方、人生の選択が、知らず知らず、今はデジタルになっているのです。
 人か人でないかが、0と1で区別できるからデジタルです。SNSに生きる人にとって、幼い子供はまだ人間ではない。子供は人間としてアナログです。その子供が大きくなるまで待たなければならない。どんな人間になるのかわからない。そんな不確定なものは、商品だったら福袋くらいしかありません。デジタルな人たちは、安心安全なものしか買いません。クレームもいえないし、返品もできないものは、欲しいとは思わないでしょう。
 少子化の原因は、そういった人間の認識のシフトにあります。託児所も子供手当もなかった時代の方が、沢山の子供が産まれていたのです。働く環境の整備不足が問題の本質ではない、ということ。”