デイケアと復職プログラム

デイケアは長期入院していてなかなか退院できない人や
退院してもすぐに再入院に至る人について
むかしは入院継続しか手段がなかったところを
デイケアを作って昼には病院の一角で「昼間収容」して
入院の代わりにしようという制度だった

従って保険点数も入院治療に準じたものになっていて
生活の面倒や食費、入浴などは家族が負担すればいいので、
その分病院としては利益が大きい
この仕組があれば病院は長期入院をやめて在宅通院医療に切り替えるだろう
という制度だった

作業所との区別は曖昧であるが
コンセプトとしてはむしろ作業所の方が復職支援に近い

ところが作業所通所の患者層が現実には復職には遠い人たちであるため
復職支援というよりは
これも「昼間収容」という色彩が強いものだった

つまりはデイケアも作業所も再入院を防ぐことが目標だったし、
入院治療の代替であった

現実には
デイケア・作業所と入院治療の間を往復していた

ーー
うつ病の復職プログラムはデイケアの保険点数制度を使って
うつ病で休職した人に会社復帰までの支援をしようというもので
上記が
入院とデイケアの往復であったものが
ここでは
会社とデイケアの往復になっている

ーー
実際にやってみると分かることだが
復職がスムースに出来る人には実はデイケアは必要がない
休職が終わって、半日勤務をはじめて、という具合で普通に復職できる

復職ができない人はデイケアにも通えなかったり
デイケアだけでうまく適応できたり
そんなことになる
復職できない層が「沈殿」していく

すると復職デイケアの意味が無いので
一定期間でそのような復職不可能な患者さんには「卒業」してもらい
次の患者さんを受けいれることになる

「卒業」した患者さんはどうなるのかといえば
答えが難しい

ーー
結局何が起こるかといえば
うまく機能する復職支援プログラムでは
何もしなくてもうまく行く人しか、うまく行かない
抱え込む機能がない
抱え込まないからうまく行くのだし
うまく行くということは抱え込まないことなので
微妙なところがある

うまく機能しない復職プログラムでは
抱え込む機能はあるが復職機能はない

何もしないでうまく行かない人に復職プログラムに参加してもらったから
うまく行くという例はどのくらいあるかといえば
厳密な統計的検定はないだろうと思うが
あまりないだろうと思う

つまり、休職期間延長以上の効果はあるのかといえば
なんとも怪しい

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医療提供側も統合失調症のデイケアの記憶が根深くあるし
制度もテクニックも統合失調症の入院中のケアから発達したものなので
なかなかその枠から抜け出ることができない

患者教育をするならば個別に診察室で説明すればいいのだし
なにか意味があって卓球をするなら
ふつうにスポーツをする場所ですればいいのだし
料理をするならば台所ですればいいのだろう

ーー
なにより問題なのは対人関係の練習をすると言っても
練習相手も対人関係の練習をしたい人であるから
なかなかうまく行かない

卓球の話が出たので言えば
ある程度普通に卓球が出来る人とトレーニングした方がいい

相手にもかなり困難がある場合には
なかなか対人関係の練習にはならない

ーー
次の問題は
復職支援の場では結局は会社の再現はできないということだ

会社にはそれぞれの特色があるし
その共通部分を
復職支援プログラムの場で再現できるわけでもない

その会社に特有の仕事の仕組みとか
その組織に特有の人間関係とか
それに適応することが必要なのだけれど
当然そんなことはその会社の現場自体でなくては難しい

朝、あいさつをしましょう程度の話は
まるっきり、昔の統合失調症のデイケアでの話なので、
それを反復しているようでは
たぶん復職の話は遠くて、
再入院や休職延長の方が可能性の高い話題になる

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結局、復職プログラムを通じての復職よりは異動または転職の方が現実的だということになるが
転職も簡単ではないし
異動に関してももちろん簡単ではない

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会社は復職支援のためにあると当然のように考える人もいるし
会社は他社との競合に打ち勝って利益を上げるためにあると考える人もいる
そのバランスをどの位置に設定するかが現実の問題であるが
経済状態が悪いときには
なにも障害のない人でも解雇されるのだから
難しいことになる

ーー
個別でうまく行かないときは
集団で治療しようというのもよくある発想だ
しかしそれは実は「収容・隔離」が本当の目的であることもある

アルコールの集団療法が典型的だ
生活保護をもらってデイケアに通う
そのことが生きることそのものだ

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集団技法をよく発達させているのが新宗教やメンタル・トレーニングの系統であり
洗脳技術の一種である
自己啓発セミナーなど
そのような技術の結果として会社に適応するのは
結果としては生活費を稼げるのだからいいことなのだろうが
なんともまた別の困難もある