法律と現実生活

法律の運用について。末広厳太郎「嘘の効用」大正十二年の記述。

もともと欧米では協議離婚がなかなか認められない。そこで離婚したがっている夫婦は示しあわせて夫が妻を殴ったことにする。この「嘘」を裁判所は一部始終知っていて、離婚成立を申し渡す。これが「嘘の効用」だというのである。「象徴的な捏造」をあいだにさしはさむと言った方がよいかもしれない。

なるほどと思う。法律は人間の生活の前にあるのではなく、あとからできるのだから。現実の生活と法律の間にはいつもすきまがある。だからこそお互いの間には高度な法律的判断が求められる。

また、「名義上の損害賠償」の話もある。AがBの庭に不法侵入したとしよう。Bが「庭が荒らされた」といって損害賠償を求める。ところがどうも庭を荒らしたという形跡だけでは損害賠償は成り立たない。しかし、ここで却下したのではBの気持ちはおさまらない。そこで裁判所が一ドルを払って、「損害の象徴」を認めてしまうという制度である。法的には損害はないのに「嘘の損害」を想定するところに、この制度のミソがある。

以上「知の編集術」松岡正剛より引用かつ編集。