診断ではなくフォーミュレーションを

診断は医学的なもので
厳密には病理標本の裏付けを必要とする

フォーミュレーションは我々が使う範囲では
心身症や精神病に関しての
原因にも言及する状況の物語である

因果関係について
立証できなくてもいいので
納得の行く・共感できる・物語を共有することだ

仮説定立などといえばいいのだが
納得できる理解を共有することで
状況の全体が一つのパースペクティブのもとに
すっきりと位置づけされることである

客観的に正しいことが問題である場面もあるのだが
そうではなくて心理的に正しいこと、納得できることが肝心であることもある

フォーミュレーションをすれば
その後は、その物語自体が推進力を持って前に進んでいく

そして時間とともに安定した居場所を見つける

その意味では
フォーミュレーションの場所や方向はある程度幅があって構わない

富士山に登るにはどこから登ってもいいはずで
頂上はどうせ一つだという理屈になる

様々な登り口があり
最後の景色はみな似ている

最短距離がいいかといえばそうでもなないのが
人生の味わいだ
遠回りのコースが景色がいいかもしれないし
苦労したことで同伴者と一週間泊り込みで一体感が生まれるかもしれないし
遅れたことで何かにちょうどいい具合かもしれない

つつじとか
もう少し先ならば
あじさいとか

仮説を暫定的に立てて
そのことが納得できるものであれば
スタート地点としては充分である

ーー
なぜ過食嘔吐をするのかについては
長い物語があるのだ

その長い物語の中から
過去と現在と診察室での同型性を見つけ出し
それをコアとして考えを進める

すくなくともこの三者の同型性を満たすものが
フォーミュレーションである

ーー
次元の低い言い方では
誰のせいとか、誰かに罪をきせるであったりする
それが物語の全部だったりもする

決してそんなものではない
一部はそうだとしても
そればかりではない

そこから歩き出すためのフォーミュレーションなのであって
そこでうずくまってしまうためのフォーミュレーションではないのだ